太陽堂
むぎせんべい
について

昭和2年、家族経営の小さな店から始まりました。

太陽堂むぎせんべい本舗は、昭和の始まりとともに生まれました。創業者 八巻清が青森県八戸の「南部煎餅」に惚れ込み、本場で修行して福島に持ち帰ったのが最初です。試行錯誤しながら自分の味を創り出し、福島市置賜町の間口1間半ほどの店で売り出したのが昭和2年(1927年)。当時は、店の隣の自宅で石の炉にせんべい型を並べて焼き、ショーケース1つの小さな店で売る家族経営の商売でした。むぎせんべいを焼く部屋は、炭火の熱で蒸し風呂状態だったとか。小さな店でしたが、むぎせんべいの形が太陽に似ていることから、大きく「太陽堂」と名乗りました。太陽のように、まわりを照らす無くてはならない存在になりたいという願いを込めています。
やがて「太陽堂のむぎせんべい」は、日常の駄菓子として評判をいただくようになりました。昭和の中頃に福島競馬場に来られるお客様や福島旅行の土産物として重宝されるようになってくると、「品切れでお客様に迷惑をかけることがないように」と工場を建て、本場八戸で使われていた自動回転式の焼き窯を導入。その後店舗を陣場町に移して今のスタイルになりました。

何にも変えないむぎせんべい。
一枚一枚、九十余年。

太陽堂むぎせんべい本舗は4代目社長が受け継いでいます。でも「太陽堂のむぎせんべい」は、初代の頃から何ひとつ変えていません。材料は小麦と落花生。素朴な甘みも、軽さも、パキッと硬い歯ごたえも、当時のままです。時代の流れの中で味を変える選択肢もあったのですが、「これ以上の味は作れない」と一貫して同じ味を守ってきました。正直に言うと、味を変えない方が険しい道ではありました。なぜなら、この食感を出すために手で焼く手間を変えることができません。今では造られていない機械を直し、1枚1枚人の手をかけて、毎日毎日、百年近く、むぎせんべいを焼いています。今ではどこにもこの硬いむぎせんべいを焼くところはなくなりました。唯一無二のこの味をこれからも作り続けていきます。

今では福島のソウルフードと呼ばれています。

公式キャラクター
陽向こむぎ

時々TVや雑誌で取り上げていただきますが、元々「むぎせんべい」は素朴な駄菓子。お客様に「変わらずうまい」と言われることが励みです。まだまだ地元でしか知られていなかった頃、今の上皇后美智子様から直々にご用命いただいたのは、90年を超える歴史の中で特別誇らしい出来事でした。最近は福島のソウルフードと呼んでいただくことも増え心底嬉しく思います。公式キャラクター 陽向こむぎが広告塔になってからは、新しいお客様と出会えるようにもなりました。これからも末永く可愛がっていただけることを願っています。

社長のごあいさつ

太陽堂むぎせんべい本舗のホームページへようこそおいでくださいました。
また平素より太陽堂のむぎせんべいをご愛顧いただきありがとうございます。
むぎせんべいは、昭和2年に初代社長が福島市置賜町の吾妻通りで焼き始めたのが始まりです。
太陽は一日も休むことなく私達全てに恵みを与えてくださっている、そのお日様の様に日々精進を重ね皆様に喜んでいただけるむぎせんべいを作っていこうとの初代社長のモットーを受け継ぎ、90年以上に渡り精進してまいりました。
変わりゆく日々の中で、「何も変えない」ことは容易いことではありません。
製法や原材料を現代の環境・衛生基準に合わせお客様に安心してお召し上がり頂けるよう努力しながらも、本質的には90年前と「変わらない味」であることを目指して、変えないための変化を続けてまいりました。
今後も、愚直と言われるほど手作りにこだわり、創業当時そのままの味をお届けしてまいります。

太陽堂むぎせんべい本舗
4代目社長